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のほほんほわほわ

植物擬人化小説『ラベンダーさん』が読めます

2016年 2月22日 曇り 実話

いっくん日記

 (自分で言うのもアレですが、頭のおかしい人の話なので、作り話ぐらいに思って頂ければ、私としても楽で助かります)

 夢の中で私は、T神社にいた(名前を出して良いかどうか分からなかったので、一応伏せることにする)。寝る前に、ヘミシンクの『ザ ビジット』を聴きながら寝た影響だろう。T神社は、私が幼稚園の頃から通っている神社だ。特定する人がいるのであまり詳しくは書かないが、都内の神社の中では美しい部類の神社だと言っておく。

 時間は深夜だった。深夜に神社に行くなんて愚行、元旦でもなければ絶対しないが、夢の中で私は深夜のT神社にいた。
 暗闇の中で、雲の間から満月が顔を覗かせるが、境内を照らした金色の光はすぐに消えてしまい、再び静寂と闇の色に染め上げられた深夜の帳が降りて来る。
 境内の中には、どうやら私以外にも数人の人たちがいるようだった。
 深夜であるのに、なぜか社務所が開いていて、ひとりの巫女さんがいた。私の前に巫女さんがいる。
 私がそこで、巫女さんと会話したのかは分からない。何かを受け取ったのかもしれないし、何も受け取っていなかったのかもしれない。そもそもしゃべっていないのかもしれない。
 
 次の場面では、私は境内の中を歩き回っていた。
 ここがあの、T神社なのだろうか?(T神社だとなぜか分かっていた)
 実際のT神社とは風景が全然ちがうし、他の神社と言われたほうがしっくりくる。非物質の世界だと、こういう感じになってしまうのか。
 薄気味悪くて、不気味な像や小物がいろいろ置いてあって、正直呼ばれても来たくない。そういう印象だ。しかし、夢の中とはいえ今ここいるということは、意味があるのだろう。魔物は見ていないが、もしかしたら忘れているだけで、魔物もいたかもしれない。
 私はその手の専門家ではないので、どうしてこのT神社がこれほど不気味な神社になってしまっているのか原因を特定なんて出来ないし、感覚的なものなので、科学的な根拠やデータを提示することが出来ない。それが出来れば伝える苦労はしないけど。
 絶対にこれが原因とは決められないし、もしかしたら間違っているかもしれないが(その時は、ゴメンね)、可能性としてひとつ挙げられるとしたら――

 ――人々のエゴ、自分勝手なお願いごと

  T神社は都内でも有名どころのひとつで、お願いごとなんて特にされる神社だ。小学生の頃はいっぱい飾ってある絵馬なんかを見て「みんないっぱいお願いごとしてるんだ、スゲ~」なんて思っていたけれど……
 今考えてみると、それは恐ろしことなのかもしれない。
 欲望で聖域が穢されている。
 お願いごとを全くするなとは言いませんが(もっと厳しく言ったほうが良いのかなぁ)、神社は本来、平和や愛を祈るところ。あらゆる生命の垣根を超えて、世界、宇宙の幸せを祈り、平和と愛を感じるところだと思います。もう少しだけでよいので、参拝する時は考えてみてください。
 自分のお願いごとを叶えるパワーはみんな持っているんですから、人のため、誰かのためになるお願いごとをするほうが、まだ健全です。
 不正や悪事を働いている人にしても、どうしてわざわざ神社にいくんでしょうかねえ? わざわざバチに当たりに行くだけならまだしも(行かなくても、悪事をした瞬間に見えない世界ではバレていますが)、自分勝手なお願い事をして神社を汚したりするんですから、とんでもない。
 一生懸命頼み込んだからって叶えてくれるものではないでしょうし、特に頼まなくたって、助けたいと思った人なら助けます(専門家ぶってますが、私は一般人です。間違っていたらすいません)。

 私が神さんの立場だったらもう、神社で女子大生が自分勝手なお願い事した瞬間ブチ切れて「はいもう日本沈めまァァァす」とか言っちゃいそうwwww
 ゴメンね、冗談だから。こんな神がいるの!? とか思わないでねwww 

 まあ、全くいないとは断定できないが。ヒトによりけり。
 あと、「恋愛ごとで有名な神社に参拝したのに、彼女と結婚するどころか別れた」と言う人もいますが、別れたほうが良かったから、縁を切ってくれたのかもしれませんよ?

 ――境内をある程度、散策したところで場面が切り変わる。

 さっきのT神社とは全く違う場所だ。明るい室内で、活発な雰囲気。今度は私はどこぞの建物の中にいた。作業着を着た人たちが、作業場で何かを梱包したり包装したりしている。
 詳しいことは覚えていないが、私はがっかりしていた。
「~さん、引っ越したのか~」
 どうやら誰かに会いに来たようだった。
 引っ越しというのは、どう意味でだろう。言葉通りの意味でよいのだろうか。もしかすると他の解釈があるのかもしれない。

 そこで目が覚める。現実だ。
 現在は仰向けの姿勢だが、頭のてっぺん、枕元に気配を感じる。
「あ、やべえ」声には出していないが、こういう雰囲気が読み取れた。
 どどど(何かが離れた)
 どどど(パニックになっているのか、なぜかまた頭のほうに近づいた)
 そして消えた。
 姿を見てはいないけど、小人のおっさんみたいな雰囲気が感じられた。
 でも、どどどの重量感はモルモットぐらいあった。 

 おかしい。確かに現実にいるはずだ。なんだこれは……
 寝てるんだから驚かせないでよ。何モンだよアイツ! 私の過去世の知り合いか? 
 自分でも驚いたが、意外と冷静だった。
 そしてまた眠りについたが、眠りにつく直前、誰かに足でドンッと脅され、金縛り状態になった。

 ふーん、そんなの効かないけどね――とか念じたけど、内心ビクビクしていたのは、相手にはバレていただろう。

 こんな濃い内容のことがあり、朝9時ごろ、起きた。

 今日は2月22日か。28日のカクヨムのオープンまで、今日を入れて6日しかない。2日は仕事があるから、残された時間は4日だ。
 物語は完結しているが、それまでに出来上がったあとがきの最終調整をしなければならない。自分がこんな内容のことを書く日がくるとは……言葉のひとつひとつに、責任がギュッと詰まっている。
 しかし、疲れがたまっているのも事実だ。放射能のことを知ってからというもの、食生活については気を付けていたが、我慢の限界だった。
 ふと私の頭に、久しぶりに外食しようというアイディアが降ってくる。
 思いついたアイディアを即実行するのが、私の良いところだ。
 シャワーを浴び終わり、パソコンに向かうともう10時ぐらいだった。最近は寒い。シャワーの時間も伸びてしまうのが悩みだ。
 11時30分まではあとがきの編集をして、それからは久しぶりに、外食をしに出かけた。
 私がお気に入りのビュッフェのお店にたどり着いたころには、12時10分になっていた。
 美味い。
 何ベクレルかは想像したくないが、やはり美味い。汚染されていても、味が変わらないというのは怖いことだが、ず~っと我慢していても気が滅入る。たまには遠慮せず食べても平気だろう。
 普段は発芽玄米と味噌汁、青汁、ごぼう茶、果物とパンぐらいしか摂取しないし、一日一食か二食ぐらいしか食べないが(勘違いしないでほしいが、放射能の危険を知る前から、私の食生活はだいたいこんなもの)、やはりたまに食べると超美味い。私がミシュランの審査員だったら、三つ星はくれてやる。ただ、そんなことをしてしまえば即クビだろうが。
 周りのお客さんは、あまり放射能について気にしている人はいなさそうだった。いや、分からない。もしかしたら表に出していないだけで、いたかもしれない。

(2016年12月1日。今現在周りの様子からすると、やはりいなかったと思う)
 汚染されていても、食べ物はこんなに美味しいのか。ずっと噛みしめていたくなるほど、美味しい。たくさん食べれるって、幸せだ。
 これだけ幸せな気分になれるんだから、汚染されていない食べ物だったら、どれだけ幸福だろうか。でも、汚染されているかどうかなんて、美味しさとは関係ないものだからなあ。
 すっごく美味しいからといって、汚染されていないことの証明にはならないから、困るわけで。
 でも、今は息抜きのためにきているので、放射能やベクレルのことは頭から叩き出した。思う存分、食べてやった。幻想かもしれないが、それでも幸せだ。


 願わくばいつの日か、汚染されていない空気が吸いたい。汚染されていない水が飲みたい。なんにも心配することなく、食べ物を食べてみたい。
 
 ふぅ~。

 満足した。お腹いっぱいになるまで食べたのって、どれくらいぶりだろう。

 お会計を済ませお店をあとにした私は、近くのT神社を訪れた。
 夢で見たこともあるせいか、なんとなく足がそっちへ向かってしまったのだ。思えば悩みがある時は、いつもこの神社を訪れて考えたものだ。自分が本当に正しいことをしているのかどうかとか。

 境内をいつも通り一周すると、私の惚れている木が今年も花を咲かせていたので、いくつかある木製の正方形の椅子に腰かけ、眺めていた。
 少しすると私の隣の椅子に、胸にカメラを下げたおじいさんが座った。おじいさんは杖を突いていて、歩くにしてもひとつの行動をするにしても、やっとだった。
 おそらく90歳は超えているだろう見た目で、白髪で、あまり肉がなく、今にも折れてしまいそうで。失礼かもしれないが、生きているのが不思議なぐらいだった。
 隣同士で可愛い花を見ていたら、何の気なしに、自然と会話をしていた。東京の人は本来冷たい。こんな会話なんてありえないかもしれないけど、このおじいさんとは、知らない人なのに、普通に会話をすることができた。いや、会話だっただろうか。
 言い訳をするようで申し訳ないが、私は一生懸命耳を傾けた。しかし、7割がた何を言ってるか分からなかったので、音楽で言うところのセッションみたいに、なんとかフィールで理解した。
 おじいさんは、私たちの前で咲いている可愛い花の写真を私に見せてくれた。一月に撮ったらしいのだが、そのときのほうが良く咲いていて、可愛かった。
 おじいさんは同じ写真を何枚も持っているので、そのうちの一枚を私にくれた。
 私は、メチャクチャ嬉しかった。携帯の写真にはない美しさと喜びが、そこにはあった。
「うわあ、ありがとうございます」
 おじいさんも、嬉しそうに見えた。おじいさんは日本人だけど、瞳の色が薄茶色で、とっても魅力的だった。
 こんなことで笑顔になれるのになあ。そう思った。
 笑い合っている私たちの近くへ、老人ホームから来たと思う、車椅子に乗った大勢のおじいさんとおばあさんが一列に、ヘルパーさんと共にやってきた。
 ヘルパーのおばさんが、私の惚れた木を見て、車椅子のおじいさんに尋ねる。
「私とこの花、どちらがきれい?」
「これ」おじいさんは、素直に花を示した。
 笑いさざめく一同に、私たちもつられて笑ってしまう。
 カメラのおじいさんは、持っている写真をまた何枚か、おじいさんとおばあさん、ヘルパーさんに配っていた。
 幸せをおすそ分けしているみたいで、その光景をみているだけで、私の顔からも笑みがこぼれた。でもふと、悲しい気持ちになってしまった。
 この方たちは、第二次世界大戦を経験したり、戦後の日本を立て直してきた方たちだ。
 私は、拳を握りしめ、その先の辛い気持ちを押し殺した。
 車椅子の一団が通り過ぎたあと、また私たちふたりだけになった。
「アタシも本当は入りたいんだけどねえ」
 切なそうにおじいさんはそうおっしゃった。
 それからまた、花とか、おじいさんの撮った写真について、話しあった。外は寒いけど、おじいさんと話していると、なんだかあったかい。
 こんなことを言われるのは迷惑かも知れないが、私はなぜか、言うつもりのなかった放射能や原発のことについて話してみた。
 すると何かを察したのか、おじいさんのほうも、第二次世界大戦のことを私に教えてくれた。それはたった一言、これ以上にない分かりやすい言葉だった。

「大日本帝国、知ってる? 人を殺して英雄」

 重すぎる一言だった。

 人を殺して英雄になるぐらいだったら、私は悪人でいいと思った。

 第二次世界大戦時はアメリカが敵だったが、今回は敵すらいない。あろうことか自分たちの国がそれをやってしまったというのだから、本当にタチが悪い。放射性物質は目に見えるものではないし(場合によっては見えることもあるみたいだが、それは相当ヤバイ時だろう)、生物濃縮を考えたら、黒死病や戦争なんかよりも、もっと恐ろしい。しかも、いまだ大勢の国民が、放射性物質の恐怖、汚染された食品の危険性を知らないのだ。普通に働き、遊んでいる。至上最悪の事態だろう。
 戦争みたいに、敵を倒してはい終わりなんて、簡単なものではないのだ。今も太平洋を含め、自然や国中を汚染し続けていること。東京は人が安心して暮らせるところではないのに、東京オリンピックをやるために、いろいろと画策していること。事実を黙っていること。こんな国にするために、この方たちは、戦ってきたんじゃない!
 
 その後、カメラのおじいさんとは握手して別れた。境内の真ん中の参道へ行くと、遠くのほうに列をなし、神社をあとにする車椅子のおじいさん、おばあさん、ヘルパーさんたちが見えた。
 入口の向こうへ消えていく様子が、黄泉の国へと向かうように視えてしまい、さっき押し殺した気持ちが、ドッと胸に込み上げきた。

――戦後の日本を立て直してくれた方たちを、今、再び放射能で送り出すことになってしまった。ごめんなさい
 

 もう、私には分かってしまった。今朝の夢といい、私はこのT神社に来させられたのだ。でもなければ、今私がやっていること(ラベンダーさんを書くこと)に重なるように、こんな偶然あるわけがない!

 ○○っち(祀られている神)、私にこれを書かせるのか! なんで私なんだよ! 私のほかに、優れた作家なんていっぱいいるし、霊的な専門家の人たちに言わせればいいじゃん! もっと人格的にも優れた聖人みたいな人たちにさ! なんで、私がこんな経験を…… 

 誰かに丸投げできたら、どれだけ楽だろうか。今日もいつも同じように、胃腸が縮んだ。


 18時50分。地元の銭湯にて

 うわ~、極楽だ。
 足を伸ばせるって幸せだ。
 普段は2、30分で出てしまうのだが、しばらく湯船に浸かっていなかったせいか、この日は1時間も中にいた。
 もちろん一時間ずっと湯船に浸かっていたわけではなく、出て冷や水を浴びたり、また湯船に浸かったりを繰り返していた。
 いつものこの時間なら14、5人ぐらいは人がいて混んでいるのだが、雨のせいか、この日は10人もいなかった。
 銭湯は便利だ。460円を払えば、電気風呂、マッサージ風呂、炭酸風呂に入れるのだから。
 ここの銭湯が閉まるのは23時。
 22時30分ぐらいになると人もほとんどいないので、シャワーを全開にして、プチ滝行なるものをして、心の中で真言を唱えながらはしゃいだりしたこともある。
 若気の至りだ。
 湯船に浸かっている間、頭の中では今日あった出来事、『ラベンダーさん』のこと、原発のことで、私は嘘を書いてしまっていないかなど、そういうことが、目まぐるしくぐるぐると回っていた。
 赤富士の隣に掛かっている時計を見やると、19時55分。最初に湯船に浸かった時から1時間と5分が経過していた。
 あと5分したら出よう。そう思いながら湯船の縁に腰を掛け、水面に揺らめく足を眺めていた時、声を掛けられた。
「あのー、よく来るんですか」
 左を振り向くと、50代ぐらいのおじさんがいた。頭は泡だらけだ。
「はい、前は一週間に一度来ていたんですが、最近は立て込んでいて、久しぶりですね」
「お~、お金持ちじゃん」
「えへへ(お金持ち?)」
「今日初めて、ここに来たんですよ」恥かしそうにそう言う彼の気持ちは、よく分かる。私も4年前に銭湯デビューした当時は、敵陣のど真ん中に潜入するスパイのような気持ちだった。でも一時間経つと、恐竜みたいに適応していた。
「あ、そうなんですか」
「そこは、熱い?」
 おじさんは、私が今腰かけている湯船の左にあるボコボコ泡立った危険な色の湯船に目を向けた。
「一番熱いですね。人間が入るレベルじゃないですよ」
「わっはっは! なんだそりゃ。だってさ」おじさんは、隣の坊主頭の人に話しかけた。
「あ、そうなの~。ゴメンね、この人今日初めて来たからさ、ありがとね」
 坊主頭の人はそう言うと、私にお礼を言ってきた。再び最初のおじさんが話しかけてくる。
「今お兄さんが入っているそこの湯船は、熱いの?」
 私は銭湯にあるひとつひとつの湯船について、おじさんにレクチャーしてあげた。
「そうなのね~。教えてくれてありがとう」
 会話が終わり、私は湯船に肩まで浸かり足を伸ばす。少しすると、坊主頭の男性が隣に入ってきた。年は40代ぐらい。顔は芸能人で言うと、あばれる君。あばれる君から勢いを抜いた感じ。マイルドなあばれる君とでも言おうか。
 マイルドなあばれる君は、背中に入れ墨を入れていたので、そっちの人なんだと思った。銭湯ではよくあることなので、私は特に驚かない。あばれる君が柔和な笑みを浮かべて話しかけてくる。
「今日はねー、あの人が腕が痺れるって言うから、連れてきてあげたんだよ。ここはよく来るんですか?」声もあばれる君だ。
「はい、たまに。身体、悪いんですか?」
「う~ん、なんか悪いみたいだね」
 そこからなんやかんや会話をしていると、おじさんが身体を洗い終わり、会話の輪に入ってくる。50代ぐらい(外見は60代かもしれない)の黒髪交じりの白髪のおじさんは、芸能人で言うと、高田純次っぽい。
 特になんか特別な話をしたわけではないけれど、知らない人と他愛もない話をするのも、中々悪くはない。私たちは、普通に笑い合っていた。
 話していて分かったが、あばれる君は高田純次より7つ年下で、〝親方〟らしい。
 普通に話している分には良い人なのになあ。
「俺、向こう行ってくるね」
 あばれる親方は、右隣の一番ヌルい湯船へと移動した。
「あの人、あばれる君に似てますよね」私は命知らずだった。
「いや、暴れないよ」しかし高田純次には、意味が通じなかったようだ。
 高田純次は両腕が痺れて痛かったようなので、それで仕事を休んでしまったらしい。なので親方が銭湯へ連れてきたということが分かった。
 私は仕事上、筋肉をほぐす仕事をしているので、こういうのはどんな人でも放っておけない。彼の腕をほぐしてあげ、健康、運動、食生活についてレクチャーすることにした。
 なんだかテルマエ・ロマエという漫画(古代ローマ人の浴場建築技師が現代日本にタイムスリップして、カルチャーショックを受けるという内容。映画にもなっている)みたいで笑ってしまった。
「お兄さん上手いね。どこで働いているの?」
「○○町ですね」
「遠いなあ」
「もうここで働いちゃえば良いのに。お兄さんがここでマッサージすれば、商売繁盛するよ」
「いや、それはちょっと」
「渋谷は遠いよ」
「いや、○○町です」
「渋谷までは行かれないな」
「……(だから○○町だって)」オッサンは、人の話を聞かないのだ。
 時計を見ると、20時35分になっていた。レクチャーし始めたのがちょうど20時ぐらいだから、35分もこんなことやっていたのか。
 18時50分から銭湯に入っているから、1時間と45分もここにいることになる。早く帰って、忘れないうちに今日のことを書かなければいけない。
 高田純次ももう限界みたいで、ふたりで湯船から上がり、ロッカールームへと出る。
 あばれる親方は、血圧測定器で血圧を計っていた。
 着替えながら、高田純次と私は話をする。
「そっか~、渋谷じゃなかったらお兄さんのお店、行ってたんだけどなあ」
「いや、○○町です」
「渋谷はねえ、俺嫌いだから」
「……」オッサン! 聞けよ! ○○町だっつってんだろ! こんなコントやドラマみたいなことが本当にあるのか……。 
「名刺ない?」
「すいません、名刺はないですね」
 名刺って、どれぐらいの年齢から持つのだろうか。そういえば、去年の9月までバンドを組んでいた26歳のギタリストの人は、名刺をちゃんと持っていたな。私はミュージシャンとしてはどうやら、意識が低かったみたいだ。
「よかったら名前教えてもらって良い?」
「ええ、田谷野です(言っちゃった)」
「ありがとう、楽になったよ。じゃあね」
 特にたいしたことはしていないが、あばれる親方と高田純次は私にお礼を言い、去っていった。
 お酒臭いしタバコ臭い人たちだったけど、人間味があって、好感を持ってしまった。
 普通の人と大して変わらないんだから、普通に働けば良いのにと思った。

 今日はなんだか、いろいろと濃い一日だった。忘れた頃にこういうことがあるのだ。災害かよ。

 疲れたというか、浸かれたというか、憑かれたのかもしれない。

 事実は小説より奇なり。
 脚色を一切してないし、ありのままあったことを書いたけど、これが実話だって言ってるんだもん。やっぱり変だと自分でも思う。
 あばれる親方の下りなんて、絶対作ったと疑われてもおかしくない。
 
 もし私が読者なら、『こいつ痛過ぎクソワロタ』ってタイトルをつけて、2ch掲示板に晒す。で、笑う。
 そっちのほうが普通だ。健全だ。こんなストレスだらけの世界なんだもん。笑われて、人様のストレス発散ぐらいになれるのだったら、嬉しく思う。

 こんなことを実話って言ってる私の頭のほうがおかしいし、異常なのだ。

 

2016.12.1 追記

 

私は子供に携わる仕事をしているが、今の児童は可哀相で仕方がない。

ふびんだと思う。

親の無知のせいで気ままに子供らしく暮らせるのだから。

上の世代がしでかした後始末をさせられるのは、いつも次以降の世代なのだから。

成長したある日、ふと気になって3.11について調べてみたら

絶望なんて生易しいものではない何かを身をもって体験するだろうから。

 

「あの時教えてくれれば、せめて食事には気をつけられたのに」

成長した自分の子供にこうは言われたくないものだ。。。

 

原発の事実を知った子供